説教 
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説教

 説教は講演の類ではありません。神から託された言葉を伝えるものであり、聖書を通して説き明かされる神のメッセージであり、神の言葉として語られるものです。旧約の預言者たちのメッセージも、すべて神から預かった言葉であり、彼らの使信も予言ではなく預言と呼ばれているとおりです。

 けれども、語る者はまさに人間である牧師に他なりませんから、誰の耳にも明らかな神の言葉として聞き取られるわけではありません。会衆が信仰をもって受け止めるとき、説教は神の言葉として届くのです(Tテサロニケ2章13節)。また聖霊が働くときに神の言葉として響くのです。聖書の真の著者である聖霊が、牧師を通して聖書を解明し、説教を通して会衆に迫り、神のみ思いを伝え、み言葉をもって聞く者を養い、導くのです(使徒2章37〜42節、16章14節)。

 牧師は神の言葉を伝える者として、みずから十分に説教の準備をする必要がありますが、信徒もまた説教する牧師のために祈り、期待をもって礼拝に臨むことが大切です。熱心な会衆によって説教者は励まされます。信徒が説教者を育てるといわれるゆえんです。

 説教が神の言葉として語られ、受け止められることは、まさに神のなさるみ業です。ロ─マの信徒への手紙16章25節に「秘められた計画」という言葉があります。説教において、だれの目からも奥深く秘められた神の言葉が覆いを取って示され、神の救いのみ業が成就するのです。説教はまさに三位一体の神と牧師と信徒が協力して織りなす信仰の奇跡です。大きな期待をもって礼拝に臨みましょう


(以上)




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