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聖礼典

聖礼典には、洗礼(バプテスマ)と聖餐の2つがあり、いずれも主イエスご自身によって定められたものです。礼典は「見えない恩寵の見えるしるし」と言われ、また、「説教が聞く神の言葉であるのに対して礼典は見える神の言葉である」と言われます。それゆえ、正統的な教会は主イエスのみ言葉にしたがって、これを重視し、忠実に守り通してきました。

(1) 洗礼

 洗礼は「信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われる」(マルコ16章16節)と言われたキリストの約束に基づく礼典で、牧師によって授けられます。洗礼は教会への入会式ではなく、三位一体の神の名において行われる神と受洗者との聖なる契約の式であり、永遠の命を決定する重要極まりない儀式です。この洗礼において、神はすべての恵みと祝福を約束され、人はこの神にすべてを委ね、この神を愛しこの神のために仕えることを約束するのです。この洗礼によって、罪の赦しが与えられ、罪の支配から解放され、新しく生まれ変わって神の子とされ、教会の交わりに導かれ、永遠の祝福にあずかるのです。洗礼は人生における決定的に重要な瞬間です。
 
 したがって洗礼は生涯にただ一度だけ受けるものです。ご自分を献げて十字架と復活において私たちを罪から救って下さったお方と生涯ただ一度の契約を結び、生涯この契約に生き、契約の内容を深めて行くのです。洗礼を希望するときは、牧師に申し出て、指導を受け、信徒必携をよく読み、洗礼志願書に必要事項を記入して受洗の日を待ちましょう。
 
 幼児洗礼は、両親または保護者が、その子どもを信仰に育て導く決意を表明するとき、幼児に授けられるものです。幼児洗礼を受けた幼児は成長したとき、明確な信仰告白をすることにより、信仰告白式(堅信礼)を経て教会の正会員となります。

(2) 聖餐

 主イエス・キリストは十字架上においてその肉を裂き、血を流すことによって、私たちを罪からあがなってくださいました。聖餐はこの主の犠牲の死を記念し、それを記憶するために、主ご自身によって定められた聖礼典です(Ⅰコリント11章23~31節、マタイ26章26~29節)。
 
 パンは私たちのために裂かれたキリストのみ体を表し、ぶどう酒は私たちのために流されたキリストの血を表しています。この2つのしるしは、罪の赦しにあずかった私たちが、終わりの日に、神のみもとに再び集められ、復活の主と共に祝いの食卓にあずかる希望と喜びを約束しています。私たちは聖餐にあずかるごとに、神のご愛を思い起こして心に刻み、救いの確信を新たにします。また、聖餐の場に現臨されるキリストの恵みに浴します。この主のご臨在により、私たちが公同の教会に連なっていることを確信し、すべての教会と、共にある喜びを覚え、また共に歩んで行く決心をするのです。
 
 この聖餐はくりかえしあずかるべきものです。聖餐式には万難を排して参加しましょう。聖餐式の前に自らを深く反省することも大切です。自分の罪を悔い改め、罪の赦しを与えて下さる主に感謝してあずかりましょう。聖餐にくりかえしあずかり、互いに赦しあい、全教会員が主にあって一つとなり、ますます励んで主に仕えるようにいたしましょう。
 
 洗礼と聖餐の2つの礼典はすべての人に開かれていますが、まず洗礼を受け、主イエスの弟子となり、神の民の一員となってから聖餐にあずかるのが自然です。洗礼、そして聖餐という順序を重んじましょう。事情によりどうしても洗礼を受けられないでいる人のためには、特別に聖餐式への配慮がなされねばならないでしょう。その場合の判断は牧師に委ねられるべきです。
 
(以上)